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2012年4月23日。

 

三日カヤックを漕いだら一日休むというペース配分を考えていたので、この日は停滞日とした。疲労が溜まっていたため昨夜から食事も摂らずに寝続けていたが、午後三時ごろ、快晴の空から降り注ぐ強烈な太陽の光がテントの一部に当たり始めると、ビニールハウス状態となったテント内はサウナのように暑くなり、寝ていられなくなって抜け出した。外に出ていても、日陰に隠れていないと砂漠のように暑い。

 

公園へ遊びに来たメキシコ人の家族に頼まれて僕が使っていたテーブルを共用しはじめると、一緒に食べないかと食事を分けてくれた。タコスとパンにツナベースのサルサソースをのせて食べる。毎日朝昼晩とフリーズドライ食品しか食べられないので、生の食べ物を口にすると心も体も喜びに満ち溢れた。

 

午後9時頃、雷が鳴ったかと思うと、三十分も経たないうちに快晴の夜空から一転して雨を伴う激しい嵐となった。杭が土から抜けてタープが暴れまわり、テントを激しく叩く。近くに落ちた稲妻が、空気を切り裂く雷鳴を轟かせながらオレンジ色のテントを照らしだすと、テント内の狭い世界が強烈なオレンジ色の閃光で一面満たされて、不気味この上ない。「これがアメリカの気象なのか……」と、快晴から嵐へとあまりにも急激に変化する天候に恐れを抱いた。情報と経験が少ないため、この嵐がアメリカに多発する巨大な竜巻である可能性を拭いきれず、不安が煽られる。また、カヤックを漕いでいる途中で天候が急変したら、上陸場所が殆どないため避難できず嵐に飲まれてしまうと考え始める。激しく揺れるテントと共にアドレナリンが高まり、眠気も疲れも吹き飛んでいった。

 

嵐が過ぎ去ってみると、無数の星がきらめく夜空が戻ってきた。

 

2012年4月22日。

 

20キロメートル進み、小さな公園に上陸してテントを張った。

 

連日の疲労が蓄積してクタクタだった。「何でこんなことをしているのだろう……」という思いがふとよぎる。日本やアラスカへの道筋が遠く霞み、コロンビア川河口ですら「もし行けたら凄い」と思えてしまう。

 

だがそのような思いを長い旅の途中で何度も味わうだろうことは、計画段階からすでに織り込み済みではあった。また中途半端に疲れている時にそう感じるのだろう。本当に限界ぎりぎりの状態で戦っている時には、馬鹿な行為をしている自分に笑いと快感を覚えているか、まだ生きている喜びを噛みしめているか、泥のように眠っていることを知っている。

 

丘の上から眺める、西に沈みゆく夕日と東に霞みゆく渓谷が、あまりにも壮麗だった。すでに川を下り始めることまではできたという満足感と相俟って、ここで死んでも本望だとすら思えたる夕暮れだった。