検索

『ビール・ストリートの恋人たち』が垣間見せるこの監督の高潔さはほんものだと信じたい。

いつも前置きが長すぎることをもちろん自覚しているので、今回はさっそく本題から。いや、ちょっと面食らった。バリー・ジェンキンス監督の前作『ムーンライト』とはまるでつくりが違う。 前作は一言でいうなら「省略の映画」であり、きわめて大胆な、そして息を呑むような美しい省略が一本の映画をささえていた。けれども『ビール・ストリートの恋人たち』にはまったくそうしたものがない。 もちろん、お話が描いている時間の「幅」がまず違うわけだが、そういうレベルではない。本来なら脚本の段階で削除されてしかるべきシーン、たとえば主人公の母親のレジーナ・キングがプエルトリコへとおもむく一連の、彼女が意を決した夜に鏡台に向かって鬘(かつら)をかぶりおもむろに髪をといては、やっぱり違うとその鬘をはずす、そこまでがあますことなく描写されている。あるいはそのレジーナのカリブ行きの資金をつくるために、ふたりの主人公の父親が波止場で盗みをはたらくそのさまが、いまどきめずらしいスプリット・スクリーン(分割画面)で律儀に描かれもする。 はっきりいって、要らないシーンである。せりふで済ませてしま

『幽霊が乗るタクシー』は、記録よりも再現を選んだドキュメンタリー演劇である。

太田信吾さんよりこのたびの公演のご案内をいただいたとき、じつは少々おどろいた。たしか山形国際ドキュメンタリー映画祭(それも4年前の)だったと思うが、その折に一度お会いしただけだったからである。わたしはそこで、かれの監督作である『わたしたちに許された特別な時間の終わり』を見た。 作者の友人であるミュージシャン増田壮太がうつを患い、自死してしまう、その前後の時間を描いたこのドキュメンタリーは、不器用で、だからこそ切実な映画だった。これを作品にしなければ次に進めないんだ、という作者の死にものぐるいの思いが感じられた。 それは、亡くなってしまった友人への、ほんとうの意味での追悼である。「追悼」という行為は、亡くなったひとを想いつづける営みであるというよりは、「かれはもういない」という事実を受けとめて、はっきりと決別することではないだろうか。 自分の内側にあるものを、作品として外に出すこと。おおやけのものとすること。そうして太田信吾は友人と決別している。だからこそ、「特別な時間」は「終わり」をむかえたのである。それは「終わってしまった」のではなく、あくまで

『うまれてないからまだしねない』は、重力についての演劇である。

本多劇場へ。下北沢は久しぶりに来たけれど、駅構内、およびその周辺が大きく様変わりしていておどろいた。というか迷った。どうなってんの。 舞台を見るのはほんとうに久しぶりである。いまはもうまったくタッチしていないのだけれど、わたしが2012年にドキュメンタリーカルチャーマガジン「neoneo」とそのウェブ版を立ちあげたとき、「舞台芸術」はひとつの重要なカテゴリだった。 A5版の文芸誌サイズになった現「neoneo」は映画とテレビしかあつかっていないけれど、わたしの構想はあくまで舞台、写真、美術、あるいは広告などもふくめた「記録文化」=「ドキュメンタリー・カルチャー」の横断的な言説の場所をつくることだった。 こころざしもなかばに、けれどわたしは病気で斃れてしまった。情けないことに、編集実務がまったく性に合っていなかったのである。編集部のメンバーにはほんとうに迷惑ばかりをかけてしまった。当初のわたしのもくろみからは少しばかりずれてしまったけれど、いまも雑誌を出しつづけ、さらに昨年末には「東京ドキュメンタリー映画祭」という祭典まで開催したのだから、ほんとう

『がんになる前に知っておくこと』を見て知ったこと。

『31歳ガン漂流』(ポプラ文庫)という本がある。著者は奥山貴宏。かれはもうこの世にいない。この本の原著が刊行されたのは2003年のことだ。 わたしはこの本が長年気になっていた。この本だけじゃない。かれが遺したすべての本と、かれ自身のことがなんとなく気にかかっていた。それならかれの本を買いもとめて読めばよい。それだけのことが、どうしてかできなかった。 それにはすこしだけ変な理由がある。あれはわたしがまだ東京に出てきたばかりのころだったろうか。とすればまさしく2003年のことだ。まだ関西にいたころに大阪で知り合った「イカワ君」という知人が、東京に来るというから久しぶりに会うことになった。そのときにイカワ君は、いつもの神戸なまりで奥山貴宏のことをわたしに語った。テレビのドキュメンタリー番組で、ガンで余命2年と宣告され、闘病中だったかれのことを知ったのだという。 イカワ君はいった、「その奥山っていう人、文章を書いてる人やねんけどな、顔の感じとか話し方がな、なんかハギノ君そっくりやねん」。 わたしは笑ったと思う。俄然「その奥山っていう人」のことが気になった

『眠る村』が描く「名張毒ぶどう酒事件」はわたしが育ったすぐそばの集落で起きた。

名張毒ぶどう酒事件について知ったのは、いくつのときだったろうか。 昭和36年、もう50年以上も前のできごとである。通常ならば昭和史のいち事件として登録され、とうに忘れさられてもふしぎではない年月が経過している。けれども、この事件はいまだにある生なましさとともに語られるしかない。それは、戦後のこの国において、この事件が無罪から極刑へと判決の転じた唯一のケースだからであり、再審請求のあいつぐ棄却のさなかに死刑囚・奥西勝が獄死してしまったからである。とうてい「終わった」とはいえない。 司法がひそかに、いや如実に望んでいた結末だろう。40年以上の長きにわたって、刑を執行することもなければ、かといって再審請求を呑むわけでもない。かぎりなく白に近いグレーであることを知りながら、その灰色の時間のなかで、とにかく獄中でかれが亡くなるのを待っていた。そうとしか思えない。 これはもちろん、わたしの意見である。少なくとも東海テレビがこれまでに制作したいくつものドキュメンタリーを見るかぎり、わたしはそういう結論しか出すことができない。 事件のあらましをごくかんたんに整理

『サスペリア』(2018)は基礎工事を怠って瓦解した因果応報の建築である。

すげー期待していた。いや、海外ふくめ一部の批評家筋からずば抜けて評判がよいらしいことは知らなかったし(というかこのところの映画情勢をまるで把握していない)、とくに原作者であるダリオ・アルジェントやルチオ・フルチなど、往年のイタリアンホラーの愛好家でもないのだけど、試写状がかっこよかった。これは大事である。わたしのような末端の批評書き、しかも半年はたらいて一年半休む、というような不本意不定期労働者の筆者でさえも、配給・宣伝各社より試写状を毎日のように送っていただいている。ほんとうにありがたい。 そう、試写状。ようはチラシを葉書大にしたものだが、何十枚、何百枚とこれに目を通していると、だいたいどんな作品で、配給会社がどれくらいの「本気度」でもってその作品を送り出そうとしているのかは、なんとなくわかるものである。『サスペリア』のそれには、GAGAさんのかなり前のめりな本気度合いを感じた。これは駆けつけなくてはいけない……! で、見た。ひと言でいうと、まったく期待はずれだった。すべてが空回りしているというか、ガウディのような壮麗かつグロテスクな大建築を打

[寄稿]『カメラを止めるな!』ファンガイド

関西の映画情報サイト「キネプレ」さん編集の小冊子「『カメラを止めるな!』ファンガイド」に「労力について」という題で作品評を寄せました。 あくまで小冊子とはいえ、表紙にこんなにでかでかと名前が載ったのははじめてです(笑)。「渾身」の出来ばえかどうかはわかりませんが、そこそこの、いやかなりのカロリーを使って2018年の日本映画最大の話題作といってよい『カメラを止めるな!』について書きました。 正直に書くと、劇場で『カメ止め』を見たさいには、この映画については何も書くことはないだろう、と思っていました。出来ばえも決してよいわけではないし、とくに目新しくもない。ところがいざ原稿依頼を受けて書き始めてみると、止まらない。結果、8000字という一本のレビューとしては長い文章になりました。 それがこの映画のほんらいのポテンシャルだったのだと思いますし、くわえてこの機会に特別に見せていただいた上田慎一郎監督の過去作(いずれも短篇)がとても興味ぶかかった。一本一本の作品が、というよりは、この監督が一貫して描いている「段取りの進行」への固執に、かなり感性をくすぐられ