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私がやった、ちっぽけな地域猫活動(覚悟決めた編)

地獄のようなマンション理事会が終わって数日後、土曜日の朝でした。 近所のコンビニに買い物に出かけた私は、1頭の白黒の猫に出会います。 その猫は、明らかにお腹が大きかったのです。 ゲゲゲゲゲ。 と思ったら、私の動揺が伝わったのでしょう、すぐに走って行ってしまいました。 こりゃ本当にマズいぞ。 泡食って、またもやNPO法人ねこだすけの代表、工藤さんにメールしました。 送信「ついに、お腹の大きい猫を発見してしまいました!」 返信「あなたが作ったマニュアルに従って対策してください。」 天の声。 なぜか、その場でスッと覚悟が決まりました。 「仕方がない。やるか。なんで俺がやんなきゃいけないのか、さっぱり分かんないけど。」 (猫が好きでなく、被害にも遭っておらず、マンションの5階に住んでいる私が、なぜ対策をすることになったのか、今でも全く分かりません。天の声にやられた、としか言いようがない・・・(^^;)) そんな訳で、たぶん史上初、行政担当者(当時)が、自らプライベートで地域猫活動をするハメになりました。 その後、具体的にどのように地域広報し、どのように対

私がやった、ちっぽけな地域猫活動

「地域猫活動アドバイザー」などと勝手に名乗り、偉そうに講演などをしている私ですが、10年前は、自分の人生がこんなことになるなんて、想像もしていませんでした。 仕事として地域猫活動に関わっていましたが、それはあくまで「仕事」でした。 それなのに、困ったことに私自身の家の周りでノラ猫が増えてしまい、プライベートで地域猫活動をやらざるを得なくなりました。 それまでボランティアさんに話してきたことを、自分自身で実践し、体感することになったのです。 これが人生のターニングポイントとなりました。 今から約5年半前、2012年の秋のことです。 夜9時頃、仕事から埼玉県の自宅に帰って来て、リビングでゴロッと横になっていました。 すると、外から、明らかに猫の、奇妙な鳴き声が聞こえてきました。 私の家はマンションの5階です。 「この鳴き声はヤバイ!」と思い、ベランダに飛び出て下の道路に目を凝らしました。 小走りに道路向かいの家の庭に入っていく2頭の猫の姿が、街灯の灯りに浮かび上がっていました。 NPO法人ねこだすけの代表、工藤さんにメールしました。 「今、変な鳴き声

「手術は自然に反する」という意見に対して

「手術は自然に反するから、反対。」「子猫が産めなくなるなんて可哀想。」という意見が根強くあります。 たしかに、去勢不妊手術は自然の摂理に反します。 ですが、自然に反していても、手術は必要です。 理屈を整理してみます。 1 「動物」の分類 「動物」は、法令上、大きく2つに分類されます。 一つは野生動物、もう一つは、ペットを含む広義の家畜です。 2 野生動物 野生動物は、人間が生態に関与してはいけません。生態系が乱れてしまいます。たとえば、野生の熊や鹿にエサをあげては絶対にいけません。人間から食事をもらう習慣をつけてはいけない。あたりまえのことです。 彼らは、自然の摂理のままに繁殖行動し、厳しい自然の中、生まれた子どもの大半が死亡します。そして、強い個体、運の良い個体だけが生き残り、次世代に遺伝子を残していく。こうして、種の個体数は、おおむね一定数が保たれます。 「あんなに可愛い小鹿ちゃんが死ぬのは可哀想すぎる。どの小鹿も立派な成鹿になれるように、みんなでお世話しながら成長を見守ってあげよう」と、人間が小鹿たちにエサを与え、病気の時は動物病院に連れて

行政と協働しないと地域猫活動ではないのか?

全国では、諸事情により、まだ行政が具体的な飼い主のいない猫対策をしていない地域もあると思います。 実際の対策は、もちろん、地域住民ボランティアさんが中心となって行うものですが(「地域の問題、地域で解決」ですので)、それを行政が支援するとしないとでは、対策の進み方や、他の住民の皆さんの理解がまるで違ってきます。 地域猫活動は、「住民、ボランティア、行政の三者協働の活動」と言われます。 それは事実で、理想的としてはそうあるべきなのですが、「三者協働でなければ、地域猫活動とは言えない」かというと、そうとも言えないと私は思うのです。 地域猫活動の主役は、地域住民です。 地域住民の皆で理解、協力しながら進める、とても合理的な「飼い主のいない猫対策」です。 目標は、飼い主のいない猫の個体数を減らし、被害を減少させ、猫がいてもイライラしない地域社会をつくること。 とすると、もしも、行政や、広域的な猫ボランティアが関わっていなくても、地域の有志が住民の皆さんに声をかけながら、皆の理解と協力の下できちんと対策を行っていて、その地域での猫に起因するイライラが除去され

猫の魅力をなめてはいけない

こんなタイトルにしましたが、まず最初に白状します。 私は、猫の魅力がちゃんと分かっていないと思います。 これでも結構、猫と関わっていまして、「面白い動物だなぁ」とは思うのですが、感情が入り込むことがありません。 私には、猫を好きになる才能がないのだと思います。 さて、前回の続きです。 「人への思い」は共感を得やすいけれど、「動物への思い」は共感を得にくい、と書きました。 動物との関わりによって人生が豊かになった経験がない人にとって、「動物への思い」は全く想像できません。 ですので、「かけがえのない命です。動物は素晴らしいものです。」といくら訴えても、まるでピンときません。 前々回に書いたように、「命の尊さ」は人それぞれ、主観的なのです。 動物との心の交流がない人にとって、その動物が生活被害をもたらす場合、単に「害悪」と認識されます。 そういう人にとっては、ノラ猫の被害も、ネズミの被害も、同じことなのです。 ところが、地域猫活動によって対策が進んでいくと、ふん尿被害者がノラ猫の里親になったり、激怒していた人がエサを与え始めたり、という異常事態?が生

「うちの行政は・・・」

行政側との付き合い方が分からない、という声をよく聞きます。 「やる気がないからダメだ」なんていう声も・・・。 私の思うところを以下に記します。ヒントになればよいのですが・・・。 1 行政マンは、組織の一員です。ですので、独断で何か新しいことを決めることはできません。一般の会社員の方も、自分だけで新しい事業を決めることはできず、上司と相談して、組織として決定していると思います。行政マンも同じです。したがって、担当者に一方的に何かを要求しても、問題は解決しません。 2 行政マンは、市民から預かった血税を使って仕事をしています。血税(=公金)を使っている以上、「市民生活の向上」が行政の命題であり、「猫の命を守る」ことよりも優先されます。ですので、「飼い主のいない猫対策は、市民生活の向上につながる(=行政への苦情が減る)」という論点が、重要なポイントになります。 3 結局、誰と何をする場合でも同じだと思いますが、信頼関係をいかに構築するかに尽きます。行政マンも人間ですので、地域社会のため(=市民生活のため)に良心的に頑張っている人を見れば、「ありがたい」

地域猫活動はハードル高すぎ

「地域猫活動はハードル高すぎ」という声をよく聞きます。 なぜそのような声が出るかというと、地域猫活動は、地域の人達とコミュニケーションを取らねばならないからです。 特に「猫被害で怒っている人と話すなんて無理です」というご意見が多いようです。 そりゃそうですよね~。誰だって、怒っている人と話すのは嫌です。 このような声に対し、私の心の中には、まるで矛盾するふたつの答えがあるのです。 答えその1 誰しも、得意、不得意があります。自分には難しいと思うことを、無理してやる必要はありません。地域猫活動にこだわらなくても、TNRのみの活動や、置きエサを止めるなど、猫が嫌われ者にならないように、それぞれが、できる範囲のことをやればいいのです。 地域猫活動はもちろん理想ですが、誰でもすぐにできるとは限りません。地域猫活動に向かって、できることから少しずつ前に進んでいきましょう。 答えその2 地域猫活動は、誰にでもできます。 大それた「活動」ではなく、自宅周りだけでいいのです。自宅近隣にお話ししながら進めていく、地元住民による地味な地域活動が、本来の地域猫活動です