第5章、モーツァルト:ピアノソナタKV333〜アシンメトリーと孤独〜

結局この長ったらしいブログはここが言いたいだけだった。 始まりはほんの出来心、 せっかく録音した曲である。少しこの曲について触れておこうと思っただけである。 まさかこんな一大事業になろうとは当初は予想し得なかった。悪意はなかったのだ。 第二主題の続きを見て頂きたい。この曲を何故弾いたのか、初めに思い出せぬと書いたが、こうして駄文を書き連ねていて、今はっきりと思い出した。 何を隠そうこの続きの部分が弾きたくて選んだのだ。 第二主題のフレーズが二回弾かれた後、突如現れる無邪気なアレグロ。左手の16分音符に乗って、突如五歳児が芝生の中を走り回るような無邪気さである。 大人の事情など微塵も感じられない。少なくともここには、三十路を過ぎて独身である後ろめたさや、今ローンを組んで東京にマンションを買うべきか、そういう心配は一切感じられない。 もちろんこれは筆者の問題であり、彼の問題ではない。けれども時代や才能は違えど、いつまでも十八の春ではいられないのは人の世の常であり、モーツァルトであっても例外ではない。 しかしここには、繰り返すが、それが微塵もない。 で

第四章、モーツァルト:ピアノソナタKV333

ようやく第二主題である。 私の手にかかると、300小節の楽曲でこの調子である。 扱う題材が「第九」でないのがせめてもの救いである。 第二主題はソナタの概念の中での大きな発展的発明の1つである。私がソナタの発生を詳しく書こうとすれば、恐らく「カラマーゾフ」超えの超大作になるであろうことは想像に難くない。故に詳細は触れないが、大きな意義の1つに単一主題からの脱却、第二主題の確立がある。時に西暦17世紀末、元号で言うところの「元禄」である。 「元禄」と言えば年末年始お馴染みの「忠臣蔵」である。いかに渡辺謙が名優といえども一人で忠臣蔵はなかなか難しい。吉良上野介も浅野内匠頭も大石内蔵助も全て一人で演じるにはハリウッド俳優と言えども無理であろう。 そこで登場人物を二人にした。真田広之である。つまりは第二主題の誕生である。物語の幅が広がる。こういう経緯ゆえ、第二主題は第一主題とは対照的な性格を帯びる。 なるほどこの第二主題、一聴すれば第一主題と対をなす。新しいキャラクターである。しかしながら驚くべきはこの第二主題すらはじめの10小節の3つのモティーフで構成さ

第3章、モーツァルト:ピアノソナタKV333〜アシンメトリと孤独〜

「桐一葉 落ちて天下の秋を知る」 坪内逍遥の歌舞伎、「桐一葉」の名台詞である。桐は豊臣の家紋、そして主人公片桐且元の「桐」である。豊臣の行く末を憂いながら、大坂城を追われる且元が詠んだとされる句であって、このブログとは何の関係もない。 が、こうしてブログを書きながら、今ふと思い浮かんだ。滅び行く「桐」とモーツァルトに何か通じるものを感じたのかも知れない。 さて 主題の確保、である。 普通、主題の確保は主調で行われる。「確保」などと仰々しい日本語を使うので話が見えにくいが、要するに主題がどのようなものかはっきり確立する場所である。 主題が「勧進帳」なら弁慶、義経で十分わかるから「確保」はいらない。しかし全く知らないドラマに取り敢えず小栗旬が出てきたとして、それだけでは一体彼が何を演じるのかわからない、わからないから第一話ではっきり説明する。いわばこれが「主題の確保」である。 けれどもモーツァルトはこのソナタの確保を属調で行う。これは危険を伴う。スーツを着て登場した小栗旬が、次の場面でナースに着替えて登場したら、カオス、である。そのドラマ、中々にトリ

第二章、モーツァルト:ピアノソナタKV333〜アシンメトリー〜

さて、後編である。 長い文章をくどくど書いて喜ばれるのは、紅茶にマドレーヌを浸して食べる男であって、私では、ない。(最もプルーストが嫌いな仏文専攻も存外多いが)故にサクッといきたい。 と、言いだしておいてなんだが、前回の第一主題で最も大切なことを書き忘れていた。つまりは「アシンメトリー」である。 小生、縁あって京の都、華道の家元に知己ある人がいる。 云く、花は活けるのではなく、花が活けるの出そうだ。 全くもって京都人らしい物言いだが、東夷にもわかりやすくと頼んだところ、花を何処に活けるか決めるのは人間ではなく、花が自ずから望むところにただ活ける手助けをするだけと言うことらしい。 確かに演奏もそうで、さてどうやってこの曲を調理してやろうか考えているうちはダメで、その音が望むように置くことが我々演奏家に出来ることではないかと近頃思ったりする。 話が、脱線した。 高尚なことを言われ、なるほどさもありなんと思えども、如何せんズブの素人である。具体的に花を活ける上で何かアドバイスはないかと訊いたところ、「左右対称はあきまへん」と言う。これには小生驚いた。ま

モーツァルト:ピアノソナタKV333〜アシンメトリと孤独〜前編

モーツァルトのKV333を先月演奏した。何故この曲を選んだのか今となっては思い出せないが、事の始まりを思い出せなくなったは歳のせいではあるまい。 この二年間モーツアルトのソナタを弾いている。 モーツァルトは現存するだけでピアノソナタを18曲書いている。私は作品の背景やら作曲家の生活にあまり興味はない。ただB-Durで3つ書いていて、そのどれもが美しいのは事実である。 B-Dur、が良い。 数多ある長調の中でこの曲をB-Durで書いているあたり流石だなと思う。例えばこれがD-Dur、個人的にも当時の認識としても最も華やかで明るい調性、だったら一気に冷めてしまう。B-Durだから良いのである。同じ長調でも、どこか内省的で、くぐもっていて、寂しさのかけらのある調性である。 さてこの曲、自然に流れるような、まるで一筆書きしたかのような美しい旋律だが、実は良く見ると、主題労作なのである。主題労作は楽聖ベートーヴェンの専売特許のように思われているが、実はそうではない。この時代モーツァルトはジャン・クリスティアン・バッハから大きな影響を受けている。動機操作であ