新年あけましておめでとうございます。

昨年は大変お世話になりました。 弊社よりお買い上げ頂いた迎春用品はいかがでしたか。ご満足頂ければ幸いです。 この季節になると、幼少期の正月に客人が沢山来ていたころを思い出します。 ハッキリした朱色と真っ黒な塗肌のコントラスト、沈金はのびのびと描かれ、まるで硬さを感じさせない線の細さ。中に入っている海老や、黄金色の栗きんとんに紅白の蒲鉾、キラキラしたいくらなど。あの宝石箱のようなお重の色彩は、今でも忘れられません。 屠蘇器もしかり。当主から継がれる高砂の盃は迫力かつ緊張感があり、清廉な気持ちに包まれました。その器で我慢して苦い屠蘇をなめた記憶があります。 感覚の鋭かった幼少期に、そうした緊張感、苦い、きれいなどの五感共有をできる器で親族と過ごしたり、お客様にもてなしをすることが、非常に日本の地域文化や人との繋がりをしっかりと植え付け、育てるきっかけになる出来事だったと実感します。 あれから数十年経過した今でも、くすんだ桐箱から取り出すと「また会ったね、今年もよろしくね」という感じになります。地元の新鮮な食材を詰めて知人に供すると、やはり「うわ~美

夏の風吹く頃

入社してはや4年近く、新時代の突入から2か月が経とうとしています。 こうして時間が過ぎてゆく節目の時期、物を作る側として、よく恩師の言葉を思い出します。 彼がよく言っていた事として、まずアートとは、 己のみが持っている目に見えない感覚、事象を視覚化し、自己の外にある他者にわかりやすく伝える。その力は、「自分が目立ち・得をしたい」という自我の主張のためでなく、他者のためにその力を使い、人間という「生き物」に生まれた地球上での役割を全うするために使いなさい。 それは結果として、社会に貢献、人間がより精神的に進化するツールの一つになるから、 と大学の恩師はよく言っていました。哲学系美術の学校だったため、人間は自然物の一員であることを忘れるな、という意味で生き物という言葉がよく出てきました。 当時は地域ぐるみで開催される、基金活動などでその意味を理解していた「つもり」でした。 作品に対して率直な反応などが返ってくると、思い切って絵具ぶちまけてよかったな、と素直に嬉しかったのを覚えています。 ですが、今ではその言葉が、品物を作る上で実感を伴い、日々の原動力