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2020、1、22

卒業した年の秋に企画していたショスタコービッチ作曲「森の歌」の演奏会があり、

3月に卒業してからはその準備に追われた。

茶木鍼灸院の開業へ向けての手続きも終え、それと同時に勤め先を探してみる。

学校から一つ推薦してもらっていたが、もっと自分のやりたい仕事をやらせてくれる

ところがあるはずだ、と思い400店ほどをピックアップして片っ端から電話をかけて

雇用してもらえるかを尋ねて行く。

見事にすべてアウトである。

ライセンスを取得したとはいえ、現実はすぐに仕事にありつける訳ではないようだ。

そうこうしているうちに10月の演奏会本番を迎えた。

何とか大成功に終えることができてほっと胸を撫で下ろす。

そのころにはもう肋骨の痛みは感じなくなっていた。

開業した茶木鍼灸院はホームページを開設してチラシも撒いた。

年末までいくつかの演奏会に出演して年を越した。

2019、12、30

それでも怪我から一週間後にはゆっくりゆっくり歩きながら阿波座の教室まで出かけ

てレッスンを行い、合唱団の指導も行っていた。

指揮をするのは、これは激痛である。

普通に指揮が振れるようになるまでには2か月はかかっただろうか。

今回もまた背骨や骨盤を骨折したり、頭を打ったりしなかったことをいるかいないか

分からない神に感謝しながら痛みに耐えた。

僕の卒業後に描いていた目標は「四つどもえの生活」というものである。

治療院開業・どこかの治療院への勤め・師匠のところでの修行、それから従来までの

音楽の仕事である。

この四つを並行して熟して行くのである。

肋骨に響く鈍痛を抱えて、まずは開業手続きの手筈、雇ってくれる治療院探し、それ

と時間を見つけて修行に出かけることを始めた。

そうこうして数か月が経つと10月になり、以前から皆で計画し推進してきたNSK

合唱コンビナーレの演奏会本番が近づいて来た。

2019、11、13

線路の上で僕は呻いていた。

息ができない。

それでも電車が来る前に何とかしてホームにあがらなければと思考は動いている。

立ち上がるとホームは目の高さ。

渾身の力を込めて片足をホームに上げると、若い男性が腰のベルトを持って引き上げ

てくれる。

もう一人の男性が軽やかに線路に飛び降りて白杖を拾ってくれている。

僕は汚いホームの上に四つん這いになって、荒く息をつき呻く。

一人の子供が横に来て、覗き込みながら僕の荒い呼吸の真似をしている。

どうしてこんなに苦しいんだろう、と思考のどこかで考える。

おそらく肋骨が何本か折れているのだろうが、15年前に線路に落ちて肋骨を二本

折った時にはこんな苦しさはなかった。

ことによったら折れた肋骨が肺にでも刺さったか。

そうこうしていると駅員が数人やって来て、僕を抱えてベンチに座らせる。

あれこれ質問してくるが、意識が朦朧として答えられない。

やがて救急隊員が現れたのでタンカーで運んでくれるのか、と思いきや徒歩で階段を

上がらせされ、救急車まで。

こいつら鬼か、と思ったのを覚えている。

救急病院に着いたが、もちろん肋骨の骨折はどうしようもない。

レントゲンを撮って、サポーターベルトとロキソニンを渡されて家に帰った。

そこから約四週間、微動だに出来ない痛みとの闘いである。

ベッドから起き上がり、トイレに行くにも呻きながら汗だくになって15分掛かって

便器まで。