• 香川妙美(萩出身ライター)

【萩ミライ探訪 #03】東京で働く料理人守永江里さん・20代

最終更新: 6月5日

萩で育ち、萩で学ぶ、中高生の皆さんへ。

萩を離れ、東京で活躍する先輩が歩いてきた、人生のストーリーをたどってみませんか? 

 山陰の小さな町に生まれた私たちは当時、萩での暮らしの「その先」を知る機会は決して多くはありませんでした。それでも、将来を想像し、夢や目標を胸に萩から飛び出す人は、今も昔も絶えず存在しています。

 「萩ミライ探訪」は、皆さんよりも先に大人になった私たちからのささやかなギフトです。先輩たちの「人生」というストーリーが、あなたの将来を考えるヒントにつながることを願っています。

Produced by 萩大志館〜萩市出身者でつくる事業創造チーム〜

https://www.hagitaishikan.jp/

 第3回は、萩市の姉妹都市 神奈川県鎌倉市を拠点に活動する料理人、守永江里さんに話を伺いました。

探訪ナビゲーター 香川妙美

越ケ浜→土原→大井で育つ。中学・高校と音楽にのめりこんだことをきっかけに、東京の専門学校に進学。音楽ビジネスを学ぶ。その後、音楽事務所、自動車関連の会社で働き、2013年からはフリーランスとして独り立ち。現在は、企業のPRのお手伝いやライター業を主な仕事にしつつ、その傍ら大学で学んでいます。萩の好きなスポットは、図書館。

 守永さんが手がける「もりえりごはん」は、滋味深い家庭の味がテーマ。気取って食べる特別な料理ではなく、食べたらほっこりとするやさしい味わいが特長です。

 現在は、鎌倉市内で週2回『酒糸(しゅし)』という小料理屋を営むのに加え、東京都内で不定期にお店を開いたり、企業のイベントで料理を振る舞ったりもしています。今年4月には、萩大志館が企画した『東京遊学ツアー』でも、中学生をおいしい料理でもてなしてくれました。

 そんな守永さんは、江向の出身。サッカーが大好きな小学生時代を過ごし、中高時代は定期テストで常に上位をキープ。絵に描いたような優等生(途中、悪いときもあったけれど……)だった守永さんですが、料理人を志すまでには、自分の内面と闘い続けた過去がありました。

大好きなサッカーができない。不安定な中高時代

―守永さんの子ども時代の話から聞かせてください。サッカーを長く続けていたそうですね。きっかけは何だったのでしょうか?

 二人の兄がそろってサッカーをしていたんです。練習を見ているうちに自分もやりたくなって小学2年生のときにスポ少に入り、高1まで続けていました。ただ、中学はサッカー部に女子は入れなかったのでママさんチームに所属し、週末は山口市内まで行って県選抜チームの練習に参加していました。中3のときには国体にも出場したんですよ。とにかくサッカーに夢中な子どもでした。

―そこまでいくと筋金入りですね。中学生になり、サッカーが身近にない環境はもどかしかったことでしょう。

 そうですね。サッカーをしたい思いから、サッカー部への入部を何度も学校側にお願いしました。けれども、「更衣室もないし、怪我でもしたら大変」と言われ、結局叶いませんでした。選抜チームに所属する仲間のなかには、男子に混ざってサッカーをしている人もいて、とてもうらやましかったことを覚えています。

 サッカーができないことが学校生活にも影響を及ぼしました。それまでサッカーをとおして自己表現やコミュニケーションを図ってきたのに、それが無くなったことで友だちとの距離感がうまくつかめなくなって。結果、悪目立ちすることで周囲の目を引くようになっていました。

―悪目立ちというと、いわゆる悪い子になってしまったとか?

 ええ。朝家を出るんだけど登校しなかったり、ノーヘルで自転車に乗ったり、吸えないくせにたばこを持ち歩いたり(笑)。このころは、とにかく悪いことがしたかったんです。

―なかなかスリリングですね(笑)。でも、ずっと悪いままでは今につながりませんよね。このままじゃダメだと気づいたきっかけは?

 ある日、小学生のころから仲良しの先輩に仲間はずれにされたんです。理由を尋ねたら、「あんた、前は良い子やったのに、もう皆の前で堂々とできない子になったよね。誰の前に立っても堂々とできる人に戻れたら、また仲良しになってあげる」みたいなことを言われて。

―とても良い先輩ですね!

 そうなんです。とても胸に刺さりました。でも、「友だちが欲しい」「目立ちたい」という気持ちが根底にあるので、ついやりすぎてしまうんです。まずは、勉強を頑張って中3のときにはテストで一番が取れるようになりました。すると、周りが「すごいね、どんな勉強しよるん?」って、わたしに関心を持つようになったんですが、「成績が落ちると見向きもされなくなるから、頑張ってキープしなきゃ!」って、年中必死に勉強していました。同じようにダイエットにも夢中でした。勉強すること、痩せることが目的ではなく、皆ができないことができる自分に酔いたい、皆が憧れる人になって目立ちたいというのが理由なので、行動のすべてが不自然でしたね。

―このころ、将来の夢はありましたか?

 管理栄養士になりたいと思っていました。悪ぶっていたときも、そのあともサッカーだけは続けていたんですが、プレイ後の疲労感が強かったので、何を食べたら身体が回復するのかを調べるようになり、そこから栄養学に興味を持ち始めました。

 わたしは当時、ニンジンが苦手だったんですが、同じような栄養価を持つ他の野菜を組み合わせれば、食べなくてもいいんじゃないかと考えたことがあり、そんなことを書いて給食室の意見ボックスに入れたら、ある日、管理栄養士の先生が教室に訪ねてきて色々説明してくれたんです。それをきっかけにさらに関心を持つようになり、先生に付いて給食の献立を考えたり、栄養価計算をさせてもらったりしていました。

―その行動力は、すばらしいですね。

 管理栄養士になりたいと漠然と思うだけでなく、仕事を疑似体験できたことが、目標を明確にしてくれました。その後、萩高の理数科(現 探求科)に進みましたが、大学進学においても管理栄養士の目標がブレることはありませんでした。

東京遊学ツアーで振る舞われた「もりえりごはん」

「わたし、料理人になりたいんだ」。病院のベッドの上で見つけた新しい目標

―大学は、管理栄養士の資格が取れる学校に進んだんですよね。

そうです。県立大学に進学しました。全国的にみても先生のレベルが高いと聞いていたので、学生生活には大きな期待がありました。

―その期待に応えてくれる学びはありましたか?

 それが大学はすぐに辞めてしまったんです。中学生のときからのダイエットがたたり、当時から摂食障害を患っていたんですが、この頃は特にひどくて。治療に専念するため、休学して入院し、そのまま退学することになりました……と話すと、すごく暗い感じがするんですが、辞めたのは後ろ向きな気持ちからではなく、入院中に新しい目標に出合えたんです。管理栄養士ではなく、料理人になりたいなあって。

―目標が変わるきっかけがあったんですね。

 病院食がきっかけになりました。病院食って管理栄養士の先生が、患者さんの身長、体重、性別といったデータを元に献立を決めるのですが、わたしのような症状の人は特に、今の精神状態ならこれは食べられるけれど、これは食べられないっていうのが複雑にあるんです。でも、先生にとっては患者さんの気持ちなんて関係ない。というか、気にしたくても難しい。なぜならたくさんの患者さんがいるので、一人ひとりと顔を見合わせて献立を考える余裕がないんですよね。食べる人の顔を見ることなく、その人の食べるものを決めることを、とても怖いと感じました。そこから、食にはまた違うアプローチがあると考えはじめたのです。

 入院中は外部との接触がほぼないので、退院後にやりたいことをあれこれ考える時間がたくさんありました。食で人に喜んでもらえる仕事ってどんなのがあるんだろうって、ベッドの上でいつも考えていましたが、最後はいつも自分のお店を持ちたいという思いに行き着きました。管理栄養士になるはずなのに、料理をすることばかり考えていたんです。漠然としていた思いが、意識として表れた瞬間でした。

 大学の先生は、「復学して管理栄養士を目指そう」って声をかけてくださいましたが、自分の気持ちが、そっちに向くことはもうありませんでした。

―そこから料理人の道へと入っていくんですね。

 退院後は萩に戻り、しばらくのあいだ、呉服町の「キモノスタイルカフェ」で働いていました。このころは、家で家族に料理をつくっていたんですが、観光シーズンに入るとお店が忙しくなるので帰宅が遅くなり、料理が作れないんですよ。それが苦痛で……。いよいよ料理を仕事にするしかない。そんな思いをカフェのオーナーに打ち明けたら、背中を押してくれて。それで、調理師学校への進学を決めました。

―再び進路を決めるにあたり、どんなことを考えましたか?

 カフェで働くなか、萩にUターンしたたくさんの人に出会ったんですが、その人たちって萩にずっといるわたしよりも、萩のことが好きだったんです。わたしも同じような視点で萩を感じ、語れるようになりたくって、学校は県外にしました。神奈川県横須賀市にある調理師学校なんですが、ここは少人数制で平均年齢が24歳という環境。知らない場所と人のなかで交友範囲を広げ、働きたいお店を見つけようと決めました。22歳のころです。

―いまの拠点である鎌倉市に近づいてきました。鎌倉市と守永さんのつながりを聞かせてください。

 調理師学校に入る前、観光で鎌倉市を訪れたときに泊まったゲストハウスのおねえさんと仲良くなったんです。その後も一緒に飲みに行ったりするなか、いまお店を借りている「日本酒・山形そば ふくや」のオーナーと出会いました。横須賀の調理師学校に通っていると話したら、「だったら、アルバイトに来てよ」と誘われ、行ってみたら、わたしが病院のベッドの上でイメージしていたお店がそこにありました。カウンター6席だけの小ぢんまりとしたお店です。「あ、わたしの居場所はここだ」って直感的に思いました。

 その後、都内の料亭に就職することになり、アルバイトも卒業したんですが、その料亭は短期間で辞め、しばらく料理とは関係のない仕事をしていたんです。そのとき久々に鎌倉に遊びに行ったら、「ふくや」のオーナーと道でばったり会って。今の暮らしを話したら「戻っておいでよ」と言ってくれて。それが、鎌倉に根を下ろす契機になりました。

自分のお店「酒糸」をオープン

―守永さんのお店「酒糸(しゅし)」は、「ふくや」の休業日に営業されています。自分のお店を始めるきっかけは何だったのでしょうか?

 縁あって鎌倉に住みはじめたものの、そのうち萩に帰りたくなるんですよ。でも、実際に萩に帰ると、今度は鎌倉に戻りたくなる。どちらも選べないくらい好きになってしまったので、鎌倉で萩のような場所をつくろうと。それで、「ふくや」のオーナーに「山形料理ではなく、萩の料理を出す仕事をさせてください」とお願いしました。

―ここでも直談判したんですね! オーナーさんの反応はどうでしたか?

 「ぜひやるといい」と言ってくれて、お店も快く貸してくださいました。こうして、2017年11月に萩のお酒を楽しめる「酒糸」をオープンしました。

 店名には、萩のお酒が糸の役目を果たし、萩と鎌倉をつなげてくれますように、という思いを込めました。酒屋やお酒を飲む場所を意味する、酒肆(しゅし)という言葉にもあやかっています。わたしの話だけでは伝えきれない萩の魅力を、萩のお酒や料理を通して感じてもらえればと思っています。

―酒糸には、どんなお客さんが訪れるんですか?

 常連さんやその方のクチコミで来られるお客さんがほとんどですが、萩出身の方、萩を訪れたことのある方が立ち寄ってくださることもあります。酒糸をきっかけに、萩に足を運んだという方もいらっしゃいますよ。それぞれに萩のイメージをお持ちなので、話を聞いていると懐かしさと同時に新鮮味を感じることも多いです。

 誰かのための仕事という感覚はなく、純粋に自分が楽しいと思ってやっているので、それを一緒に楽しんでくれる人がいることが本当に幸せです。ちなみに、きずし、わかめむすび、瓦そばはいつも用意していますよ。

―守永さんのその肩の力の抜けた感を、お客さんは居心地よく感じているのかもしれませんね。ちなみに、今後挑戦したいことはありますか?

 それぞれの家庭でつくられている、家族による家族のための料理があると思うんですが、その『名もなき料理』の一つひとつを知りたいと思っています。鎌倉ではすでに始めているんですが、ぜひ萩でも取り組みたい。いずれは酒糸で出したり、レシピ集としてまとめたりもしたいと考えています。

 この話にも少しつながるんですが、昨年、長門出身で、“伝説の家政婦”の異名を持つ、タサン志麻さんと萩市でお仕事をご一緒したんです。萩の人って志麻さんの本をたくさん持っていて、そこにサインをもらったと大喜びしているんですよ。「地元から活躍する人が出たら、萩の人ってこんなにも喜んでくれるんだ」っていうのを目の当たりにしたら、わたしも活躍したくなりました。そんな姿を見せることが萩への恩返しにもなるのかな、と考えているところです。

―ここまで子ども時代から今に至るお話を伺ってきました。途中、ひと休みをしながらも、なりたい自分を見つけ、その目標を叶えた守永さんだからこそ、発信できるメッセージがあると思っています。いま、進路に悩んだり、つまずいたりしている人がいたとしたら、どんな言葉をかけたいですか?

 大事なのは、「決めること」ではなく、「自分と向き合うこと」だと思っています。だから、進路は急いで決めなくたって良い。ただ、考えること、感じることだけは止めないでほしいですね。自分ときちんと向き合ってさえいれば、周りとペースが合わなくたって焦る必要は無いと思うんです。

 わたしの亡くなった祖父は、画家として生涯を終えました。高校で農業を学び、卒業後は銀行マンになり、定年後に始めた絵画を究めて画家になったんです。わたしも管理栄養士を目指していたはずなのに、今は料理人をしています。そして、将来は全く違う仕事をしているかもしれません。中高生のときに立てた目標を初志貫徹する人もいるでしょうが、その想いが大きく変わることは多分にあると、実体験を通して感じています。

 決められたレールだけが全てでは無いし、世の中の当たり前もどんどん変わる時代だからこそ、『自分は何にでもなれる』という思いのもと、感じるままに進んでほしい。そして「これだ!」というものに出合えたときは、本気になってほしいな、と。いま、話しながら自分にも言い聞かせていますが(笑)、そうやって誰もがたくさんの夢を叶えられるといいですね。

 インタビュー中、常に笑顔で答えてくれた守永さん。料理人という目標を見つけ、自分の居場所を作った今は、ありのままの自由な心で毎日を生きているのでしょうか。守永さんの等身大の姿からは、潔さと充実した生活を送るリアルを感じました。

萩の思い出の場所

藍場川

つい使ってしまう方言

「~やけぇ。」

「なおす。(片付けること)」

酒糸(しゅし)

住所:神奈川県鎌倉市大町1-6-23

営業時間:毎週月・火 16~22時

もりえりごはん

http://mrer-gohan.com/

Instagram

https://www.instagram.com/mrer_gohan/

【萩大志館】萩市出身者でつくる事業創造チーム

https://www.hagitaishikan.jp/

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【東京遊学ツアー】 by萩大志館&NTAトラベル

https://www.hagitaishikan.jp/tokyo-yugaku2019

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